目を閉じてしまうと、どんよりとした暗闇に覆い隠されてしまいそうだった。木製のベットの上で青年は毛布にくるまり、その身を小さく丸めていた。
「お粥、食べられますか?」
 奥の部屋から老人が出てきた。手には使い古されて真っ黒になった片手鍋が湯気を立てている。青年は慌てて起きあがった。
「すいません、ご迷惑おかけして。あ、ボク及川といいます」
「私はアノノカといいます。遠慮なさらず、少しゆっくりしてらしてください」
 老人はそう言って微笑み、ぎこちなく粥をよそった。
 差し出された木の器を受け取ると、暖かい湯気が及川のあごをくすぐる。冷えきった肺一杯に吸い込むと、申し訳なさがこみ上げてきた。
「すいません、本当に」
「いいんですよ。今日は同居人も出ておりまして、ちょうど話し相手が欲しかったところです。…ですが」
 もう一つの器によそった粥を一口すすって、老人は頭をかいた。
「彼ならもう少し上手く料理を作るんですよ」
 少し救われた気分で、及川も粥に口を付けた。

 ワカサギを釣りに出ようと車のエンジンをかけた時、感じた頭痛は、二日酔いのせいだと思いこんでいた。釣りの後、温泉でも入れば治るだろうとたかをくくり、いつもより寒かった湖上で、いつもより多めのウオッカを飲んだ。
「私も若い頃は、同じような失敗をしましたよ。よく酔って眠り込みました」
 老人が笑うと、深く刻まれたシワが顔中、生き物のように広がった。
「目が覚めたら暗くなっていたんです。それで、急いで車に戻ってみたら、バッテリーが上がっちゃってて…」
 及川は思いだして身震いした。
 ひどくなる頭痛をこらえて、雪道を踏みしめ歩いた。国道まで出れば、きっと誰かの車に拾ってもらえる。車で何度も通 った道で、迷うはずはないと確信していた。
 普段目にとめないような細い道を曲がってしまっていたことに気づいたのは、深い森に入り込んだ後だった。途方に暮れて戻ろうとした時、闇の中に明かりを見つけた。
「驚きましたよ、こんな時期にクマかと思いました」
 老人はそう言いながら、大きなストーブに太い薪をくべた。
「熱が上がっているようですね、もうお休みになってください。朝になったらお送りしましょう」
「今朝は、こんなことになるなんて…」
 空になった器を置き、及川はつぶやいた。会釈して横になると、天井の暗闇が目に付いた。ランプシェードに遮られ、光は上まで届いていない。何か動いた気がして、彼は身を固くした。
 しばらくじっとしていたが、目を閉じると先ほど歩いた森の風景が浮かぶ。巨木に覆われたその森は、外界と一切を拒絶するかのようにひっそりと息づいていた。遠くに見える明かりを目指して、深く積もった雪を掻き分けた。何度も雪に足を取られて転んだ。誰かが遠くで、いや、近くで、笑っていたような気がする。
 ぐらぐらと揺れる感覚に襲われて、何度も寝返りをうった。眠ろうにも眠れそうになかった。
「眠れませんか?」
 老人が声をかけた。青年は小さく頷く。
「ここは不思議な場所ですね。熱のせいでしょうか、他にも誰か居るような気がします」
 老人はふふっと口をすぼめて笑った。
「神様が住んで居るんですよ」
 穏やかな口調で言うと、老人は立ち上がり奥の部屋へ消えた。
 陶器の触れ合う音が聞こえる。及川はさっきの老人の言葉を反芻してみた。
「神様が…?」
 そのとき、「ボウ」という音が耳元で聞こえ、彼は小さく飛び上がった。
 恐る恐る振り返るが、何もない。パチパチとはぜるストーブに視線を移し「薪のストーブは時々、こんな音を出すかも知れない」と納得しようと努力した。
「気がまぎれた方がいい。何か、少しお話をしましょうか」
 戻ってきた老人は、左手に大きなマグカップを二つ持っていた。及川は、ハーブの香りがする暖かいお茶を受け取ると「ありがとう」と礼を言い、話を聞きやすいようクッションの位 置を動かした。

「昔、湖の畔に粗末な小屋があったんです」
 老人はゆっくりと話し始めた。

Presented by KAZAHANA-DX

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送