プロローグ
時は一九九九年七月の一学期最後の日。
某県某所の県立三光高校で事は起こった。
「みんなよく聞けぇ!」
成績表を配り終えた後、二年三組の担任日向恒〈ひなたひさし〉教諭(二十六歳・独身)は、教卓を叩いて言った。
「かの予言者ノストラダムスは、一九九九年七の月に人類が滅亡すると言った。まさしく、今年の今月がその時に当たる。つまりどう言う事か分かる
か?」
中央の席に座る眼鏡をかけた男子生徒、赤星啓明〈あかぼしけいめい〉が手を挙げた。
「予言が当たれば、僕たちの命は今月いっぱいと言う事です」
「さすがはクラス委員、ご名答。君らにとって、この夏休みは人生最後の夏休みになる。思い残す事のない生活を送らねばならない。そこで、先生は推奨
する……」
生徒たちの固唾を嚥み込むような表情を見渡して、日向は再び口を開いた。
「夏休みの宿題は一切する必要なし。どうせ死ぬんだ、宿題どころかバイトだってする必要なし。有り金はたいて好きなだけ遊び、好きなだけ食って、好
きなだけエンジョイしようぜ! うれしいだろ、みんな?」
生徒たちは一瞬静まり返ったかと思うと、一斉にブーイングを始めた。
一人の生徒が立ち上がる。シャギーボブで、勝ち気そうな顔立ちの少女、望月輝美だ。
「ヒナタン、少しは考えて発言してよ。わたしたちがなんで苦労してまで、この進学校に入学したのかを。それはいい大学に入るため。死ぬ
って分かって るんだったら、高校受験すらしなかったわよ。ああ馬鹿馬鹿しい。啓ちゃん号令!」
「起立」
輝美に指示されて、啓明が号令をかけた。
「礼、さようなら」
開け放った水門から水が流れるかのように、生徒たちは教室を出ていった。ただ一人、啓明を残して。
「啓ちゃん、どうしたの?」
輝美が戸口から言った。
啓明は輝美に軽く笑みを送ると、見ろと言わんばかりに教室前方を指差した。
そこには、生徒に馬鹿にされ憔悴している、日向の姿があった。
啓明が言う。
「いい大人が、そう落ち込まないでくださいよ。先生、ここは一つ僕と賭けをしませんか?
人類の存亡を賭けてるんですから、負けた方は三ヶ月以内 に、これまでの生活の何か一つ捨てると言うのはどうです?
例えば、僕が負けたらこの学校を退学する。先生が負けたら……」
「独身貴族とおさらばするってのは、どうだ?」
日向の目には、生気が戻っていた。
「賭け成立ですね。後悔しないでくださいよ。じゃあ、二学期まで、ごきげんよう」
「赤星、おまえこそ後悔するなよ」
日向の言葉を背にして、啓明は教室を出た。
「啓ちゃん、またヒナタンの事イジメるんだから……」
啓明の腕に自分の腕を滑り込ませて、輝美が言う。
「やっぱ、テルにはお見通しって訳だ」
「教師のくせに、ギャンブルに走るヒナタンが悪いのよ。普通、気が付くのが当たり前だと思うけど。さっきの賭け、勝っても負けても、啓ちゃんは何も
しなくていいって」
「だからこそ、からかい甲斐があるんだ。気付かれる前にズラかろうぜ」
二人が歩き出した瞬間、教室から日向の悲痛な叫び声が漏れてきた。
それをしり目に二人は高らかに笑った。
日向の結婚騒動に、自分たちまでが巻き込まれると考えもしないで。
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