葉崎籐子の記憶では、叔父・葉崎茂との最初の出会いは、十二歳の誕生日の時である。付近をとりしきる大地主の葉崎家の中で、初めから叔父は変わり者だった。彼が姿をくらましたのは、籐子が生まれた日のことだったという。
十二年後。籐子の誕生日を祝う席で、茂は彼女の前に姿を現した。しかも髪結いとして。一族の者は皆一様に、彼に対して冷淡だった。なぜ名家の出身でありながら、そのような職業に就くのか。だが、籐子だけは別
だった。彼女は最初から彼に興味を示していた。
「お嬢さん」
籐子は男に呼び止められた。
「おぐしが乱れてるよ」
そう言うと、男は彼女の結い上げた髪を乱す事なく、鮮やかな手つきで直してみせた。
「おじさんとってもうまいのね」
籐子は本当に感心していた。
「おじさんは髪結いなんだ」
まだおじさんと呼ばれるほどの年齢ではなかったが、彼は穏やかな笑顔で答えてみせた。
「私、おじさんになら髪を触らせてもいいわ」
彼女が男の正体を知るのに、そう時間はかからなかった。だが、それでも彼女は彼を選んだ。
それからさらに六年が経った。籐子の美しさは、いまや溢れんばかりの輝きを放ち、それは周知の事実であった。
茂の店は葉崎の屋敷がある大通りの裏手、ちょうど屋敷の勝手口の向かいに面
して、ひっそりとたたずんでいた。
店の中でただ二人きり、籐子の深い暗闇を帯びたその長い髪は、今、叔父の手の中でゆっくりと波打っている。「叔父様、今日はずっと一緒にいていいの?」
大きな背もたれのついた籐の椅子に腰かけ、籐子は茂に聞いた。
「ああ。店は臨時休業にした」
「いいの、そんなことして」
籐子が持つ手鏡に、彼女のちょっと困った顔が映っている。
「いいんだ」
茂は両手でゆっくりと籐子の頭をなで下ろし、髪を整えてやる。籐子はほう、と大きくため息をもらし、目を閉じた。
|